院長経歴
1996年 | 赤門鍼灸柔整学校に入学 |
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1999年 | はり師、きゅう師、あん摩マッサージ指圧師の免許修得 仙台の治療院に勤務 |
2005年 | 岩手町川口に帰郷して独立開業 |
2007年 | 盛岡医療福祉専門学校 柔道整復学科夜間部入学 自分の治療院で仕事し、3年間、夜間に通学をする |
2010年 | 柔道整復師免許修得し、柔道整復の業務も開始 |
2016年 | 鍼灸専門の治療院に改め、鍼灸ひょうたん堂を開設 |
ひょうたん堂ヒストリー
鍼灸師の道はナチュラルに
私が鍼灸師になったのは特段の理由はありませんでした。ただ、私が鍼灸師の道を選んだのはあまりにも自然なことであり、「ならなくてはならない事だったのだ」と今になって感じております。
仙台の学校で3年間教育を受け、1996年に鍼灸師の国家試験を受験し合格。それから3年後、はり師・きゅう師・あん摩マッサージ指圧師の免許を修得した後、仙台で指圧専門の治療院に務め修行の日々を過ごしました。
ここで、人の身体に触れる基礎を身に着けたといっていいでしょう。
指圧三昧の仙台
そこは仙台でも有力な会社の社長や上役の方、そのご家族がよく来られる治療院です。当時の仙台でもそこの指圧の料金は高い方でしたが、やはり経済的に余裕がある方々ばかりです。なかには一回1万円近くの料金をお支払いになる方も頻繁に来院されるような治療院で修行させていただけました。
朝から夕方まで治療院。夜から深夜まではホテル等に出張し宿泊客を相手に指圧をする指圧三昧の日々。
その後、体の不自由な高齢者のお宅に訪問し施術することを師匠から任され、それまでには経験したこともない症状の方に指圧をさせていただき、多くの感謝の言葉もいただきました。
仙台には約10年間過ごして帰郷。2005年の秋に指圧メインの治療院を開業しました。
ふるさとに戻って来てから
仙台という東北一の都会で、ビジネスマンを中心にそれも多くは社会的には上役の方々とそのご家族をお相手させてもらいましたが疲労や慢性的な症状を訴える方が大多数でした。
ふるさとに帰ってからは急性の捻挫や肉離れなどをみることもありました。
そこで急性外傷も相手にできるようにと日中は自分の治療院で働いて夕方から盛岡の柔道整復学校の夜間部に3年間通学し柔道整復師の国家免許を修得したしました。
ちなみに柔道整復とは急性・亜急性の外傷の施術を専門に業とする免許です。
保有する免許は仙台で取得したはり師、きゅう師、あん摩マッサージ指圧師、に加え柔道整復師と4種類となりました。
そして2010年には柔道整復の業務も行うようになり、急性症状に対応するべく専門的に勉強するために休日を利用し月に何度か東京で開催しているセミナーに通い技術の修得に励みました(今でも通い勉強させていただいております)。
その甲斐あって捻挫や肉離れ、ギックリ腰に寝違いなどの急性・亜急性の症状にも対応できるようにもなってきましたが、何か違うという思に駆られてきました。
不毛、道を誤ったか?
柔道整復は一般的には整骨院とか接骨院と呼ばれ、捻挫や挫傷などの急性・亜急性の症状という条件でなら療養費といい、医療機関のように健康保険が使えます。
しかし、世間の認識は保険の使えるマッサージ屋といった具合で慢性的症状なのに揉んでもらうと楽だからと保険証を片手に訪れる方が多く、その慢性症状では保険は使えないと告げると「自分は健康保険のお金を払っているのに」と見当違いなクレームがあったり、転職により保険証が変わっていたにも関わらず以前の保険証を持ってこられ、何日か施術し症状も改善したにもかかわらず不支給になったこともありました。
そして何よりも患者の質が違います。治そうという気概が薄い人が多かったのです。
柔道整復では3か月以上保険を使う場合は正当な理由が必要です。それもそのはず、捻挫や打撲などがそんなに良くならないのは、そうそうありません(肉離れなどでは長引いたりしますが)。
良くなるために、しっかり通うよう指示しても「別に治らなくてもいい」とふざけているとしか思えない方がおられました。
そして、だらだらとした通院をし、3か月が過ぎたにも関わらずその方はまたマッサージ目的でご来院。
事情を説明しましたら逆上され帰宅、再び来られることはありませんでした。
こういうケースは他にもしばしば遭遇しました。
保険を使えば負担は安価になりますので、経済的に負担にならないことは人のためと思っていました。しかし、価格の安さで選ぶ人々と仙台時代のようにクオリティーの高さを重んじ、身銭を切ってでも自身の身体を良くしたい意思のある方々とではあまりにも違い過ぎました。不毛!私は道を誤ったのでしょうか?
決断、バッサリと
そんなの仙台は金持ちが多いからだと思いになりますか?
お一人だけですが、岩手に帰ってからでも決して仙台の社長たちと比べたら豊かとは思えない方が、この程度のことで公金の健康保険を使いたくないと自費で施術を希望された方もいらっしゃったことがあります。勿論、こちらのアドバイスに従ってくれてすぐに良くなりました。
穏やかさの中に相当な意思の強さを感じさせる方でした。現在その方はどうなっているのか分かりませんが、こういう方にも世の中には存在します。
柔道整復の業を始めてから2年くらいで厚生局に保険の取り扱いは辞めることを届けました(柔道整復の保険の取り扱いを辞めたのであって、柔道整復の業自体は今現在も行っております)。
おかげで患者さんは激減しましたが気持ちは晴れ晴れとしました。
鍼灸の不思議
それ以降、もとの指圧メインの治療院に戻ったのかといえばそうではありません。
色んなことをやっていたので、自分自身のできることに幅が広がっていました。やはり努力は人を裏切りません。
殊に鍼灸には多くの可能性があると実感させられました。
スポーツで肩を痛めた高校生が、たったの1日で良くなったこともあります。他にも手術も検討されていたバネ指といって指が引っ掛かるように動かなくなる人が、脇腹にある「帯脈」というツボを使った途端に引っ掛かりが解けて動き出し手術をしなくても済むなど、今まで経験したことがない症例に数多く出くわしました。
しかし、鍼灸の不思議さは味方にもなれば、厄介さもありました。
鍼灸の専門書によってはツボの効能が異なって書かれていたりします。
それと鍼灸には派閥とでもいいましょうか様々な流派や種類があり、○○流、○○式、○○会などと色々あります。
同じ派閥においてもA先生とB先生とでは主張に違いがあったりします。鍼灸は人の数だけ異なり、どれを信じていいか分かりにくいものです。
実践においても同じ症状に同じツボを使っても効く人、効かない人がいます。同じ人でも効く日があれば効かない日もあり愕然とさせられたり、逆に施術後、カルテを書いている際に間違ったツボを使っていたことに気が付き、それでも効果があったこともあります。
狙い通りの効果を出すことが本当に難しいのが鍼灸です。
「時の鍼」
ある時、日々の経験から「どこ」に鍼をするかより、「いつ」鍼をするかで効果が異なるのではと仮説が自分の中に生まれ、試行錯誤を繰り返すうちに脈でその「いつ」鍼をするかのタイミングを捉えることができるようになってきたことに気が付きました。
現在は使うツボは大体同じです。ただ、「いつ」そのツボに鍼をするかが異なります。「いつ」という「タイミング」=「時」を重要視することから「時の鍼」と名付け、この「時の鍼」のおかげで効果も安定的に得られるようになってきました。
遠回りでもいい、驕ることなかれ
現在、「時の鍼」を主軸に鍼灸を専門にしていますが、鍼灸では効果が薄い場合もあり、そのようなケースでは他の手法も併用することもあります。
「時の鍼」のみが万能という錯覚(思いあがりともいえる)は私にはありません。
私の仙台のお師匠も自分の技術だけに驕り、他のを下げずんだり、非難する同業者らのことを「ちゃんちゃら可笑しい」と言っておられました。
思いあがってはいけない、謙虚に学ばなくてはならないという考え方は仙台時代に養われていたのかもしれません。
約20年もの間、随分と遠回りをしてきたと思われるかもしれませんが、色々やってきたことは決して無駄では無かったと思います。
「全ての人生に無駄はない」これもまた仙台のお師匠のお言葉です。
そして「ひょうたん堂」へ
2016年の春より屋号を「鍼灸 瓢箪(ひょうたん)堂」に改めました。
何故、「ひょうたん堂」なのかというと、鍼灸が発祥した中国ではその昔、医者は薬を瓢箪に入れて持ち歩いていたので、中国において瓢箪は医術の象徴です。
日本でも掛け軸に6つの瓢箪を描き無病息災の六瓢箪(むびょうたん)と験担ぎがあります。
皆様が健康でいられますようにと願いを込め「ひょうたん堂」と命名いたしました。
鍼灸専門でありながら、はり師・きゅう師以外にも、柔道整復師やあんまマッサージ指圧師、その他、施術において有用だと思われる民間資格など様々な技術や知識・経験をフルに活かし、皆様のお役に立たせていただきたく存じますので、今後ともよろしくお願いいたします。
鍼灸 ひょうたん堂
佐藤 茂